2009/07/23
灰色のリアリティについて。
■映画『愛を読むひと』を日比谷みゆき座でマダムにまみれて鑑賞。
21歳も年上の女性と恋に落ちた少年が見つけた彼女の秘密は、ナチスのアウシュヴィッツにおける裁判で重要な鍵を握る展開になる(広義で言えば)ラブストーリー。
6年くらい前に原作で読んだときも「なんでこういう行動をとるんだろう」って思ったことが、映画でもなにひとつ変わらず解決してなくてもやもやし た。その観賞後、映画のなかで否定的に語られた「カタルシスを求めるなら劇場へ行けばいい」って台詞をふっと思い出したんだけど、この映画は本来ならカタルシスをもたらす 方向へ話が一切転がらない、選択は宙ぶらりんなまま物事は進み、灰色の理由がずっとうろうろしたまま、最後の最後のにボロボロの再会を果たすがそこにもカ タルシスは無い。ここら辺がアンチカタルシスというリアリズムになってるのだが、その灰色があまりにも灰色過ぎて、観客が感情移入しきれない気がする。だ から配給も、『朗読者』という原作の題名を『愛を読む人』に改題した。この日本人の良心に僕は肯定的なんだけど、最初映画化って言われても全然気付かな かったよ(笑)。
ミヒャエルハネケも『ファニーゲーム』においてアンチカタルシスを選択したのは、アンチハリウッドが明らかな動機であった。本作は「アカデミー賞 受賞チームが集結」なんて恥ずかしい煽りや宣伝といい対極にある。だが、根底の「アンチカタルシス」という姿勢では一緒だと感じる。簡単じゃない映画。撮り方や話の運びはすごい丁寧。それなのに感 情や背景に着いて行けない瞬間があるのは、アンビバレンツな感情を整理しないでそのまま撮っているからであり、そこが革新的だと思う。あと2時間もあるの に、結構な重要シーンをお蔵入りして編集してるのも、ちょっと驚く。撮影は済んでるのに。新聞の切り抜きを壁に貼ってあるシーンとか、ほかにも泣けそうな シーンを遠慮なく外している。これは本当にアンチだなあ。泣きそうになると寸止めでシビアなリアルが顔を出す、灰色の進行を御覧戴きたい。もう都内だと公開がほとんど終了してますが、日比谷のみゆき座でやってますので、まだの方は是非。
あ、個人的に前半は主演二人を観てるだけで胸が熱くなります(笑)。
こういうお芝居をいつかやりたいですな。僕がいまよりずっと大人になったら。いまはもうちょっとコミカルでもいい。でも根底はいつだってこういう灰色のリアリティは流れてる。アンビバレンツなのがMU。
text ハセガワアユム(MU)
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映画コラム(長文)
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