2009/09/09



■「暴力」についての考察。果たして10年前の皮肉は現代に通用する?
(ミヒャエル・ハネケ監督『ファニーゲームU.S.A.』)[1200文字]

正直『SAW』シリーズのようなものを期待して見に行ったら、この映画はそういうハリウッドに蔓延する「暴力」や「スプラッター」について皮肉を思わせるくらい、グロい描写をあえて「見せない」。物語の進行で暴力はかなり登場するし、観客もそれを恐れながら「見たい」と思っている心理にわざとおあずけさせるように「見せない」。おいおい、あんたってさあ何を見たがってるの?人がこんな目に遭うのを見たがってるのってアタマおかしいんじゃないの?と問いかけられているように、複雑な気持ちがこんがらがったまま進む。

この映画はそんな「暴力」への問題提起の装置としては機能しているし、映画単体としてもかなり面白いと思う。台詞が絞られているシナリオや、流麗なカメラワーク、急に差し込まれるデスメタル、長回しによって登場人物と観客が共有する「同一時間感覚」の恐怖。約10年前の作品のセルフリメイクとなるのだが、10年前といえばちょうどタランティーノが提案した「暴力」が盛り上がった頃かもしれない。そしてその頃のアンチテーゼが現代・00年代も終わろうとしているいまに通用するかと言ったら、どうだろうか。

「暴力」によって起きる原始的な快感や畏怖をどうするか、ハネケはこの映画を以て「皮肉」という形でアンサーした。だが、時は過ぎて『SAW』シリーズが大ヒットして(あんな大きな規模であんなグロテスクな映画は見たことが無い)、タランティーノの『デスプルーフ』は、「暴力の笑い」が劇場で起きていた。あの映画は殺人鬼に反撃する女性が描かれるが、カタルシスはもちろん、人が殴られているのに「笑える」というのが新境地と言えるだろう。マニアックな暴力フリーク(こわいなあ)の人たちが笑う悪趣味な笑いとは違う、もっと爽快で斬新で新しい笑いだった。モラルや体裁のなかでどんどん形を変える暴力の視点として、確実に今現在の暴力だと思うし、そういう暴力にぼくはドキドキする。ハネケは『デスプルーフ』を観ただろうか。ぜひ観て欲しいのだが。

○作品解説
「ピアニスト」「隠された記憶」のミヒャエル・ハネケ監督が、自身の傑作「ファニーゲーム」(97)の舞台をアメリカに移してセルフリメイク。主演のナオミ・ワッツが製作総指揮も務め、ティム・ロス、マイケル・ピットら豪華俳優が集結したサディスティック・スリラー。夏の休暇で湖のある別荘にやってきたファーバー一家のもとに、卵を分けてほしいと隣人の青年が突然やってくる。母親のアンは感じのよい青年に卵を分けてやるが、青年は卵を不自然に落とし……。恐ろしいゲームが幕を開ける。http://www.funnygame-usa.com/

text ハセガワアユム(MU)
→www.mu-web.net

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